人間の幸福は、毎日起こる小さな便利さから生じるもの
「人間の幸福というものは、稀にしか起こらない大きな幸運よりは毎日起こる小さな便利さから生じるものなのだ。」(ベンジャミン・フランクリン)
Human felicity is produc’d not so much by great pieces of good fortune that seldom happen, as by little advantages that occur every day.(Benjamin Franklin)
極意塾は、ストレスを減らし幸福度を上げること、健康・成功・幸福を実生活で現実のものとすることを目指しています。
ひとつに絞るとすれば「幸福」ですね。
幸福と言えない人が多数居るのは、何故でしょうか?
幸福になる為の方法を含む幸福論は、いつの時代もどこの国でも語られ続けてきました。それはもう語り尽くされた感もありますね。
でも、現に幸福であるとは言えない人が多数居るのは何故なのでしょうか?
幸福の定義は、「心が満ち足りていること。不自由や不平や不満がなく、楽しいこと。また、その状態、しあわせ。」といった辺りでしょう。
幸福を生む小さな便利さを追求する
それはどこから来るのか、何からもたらされるのか?私は、上記のベンジャミン・フランクリンの言葉に大いに触発されました。
人間の幸福は「毎日起こる小さな便利さ」から生じる!‥‥それ以来、幸福を生む小さな便利さを追求するようになり、極意塾の活動に繋がっていったのです。
ということで、一般の幸福論とはかなり異なったユニークなものになっていると思います。また、そこに極意塾の存在意義があるものと思っております。
「幸せになる」とは、幸せな状態になること
よく「二人は幸せになる」「あの人は幸せだ」という言い方を聞いたり読んだりします。いつも一瞬「ん!?」と思います。
人間が「幸せ」という抽象概念になるわけはありませんね。幸せな状態になる。幸せを感じている。幸せが沿う生き方をしている。正しくはこんなふうに言うべきなのでしょう。
日本語の特徴のひとつ「省略」表現である、という解釈で良いのでしょう。
幸せな状態を現実生活で実現することを目指す
理屈をこねるつもりはないのですが、幸せな状態を現実生活で実現することを目指す極意塾としてはこだわってしまうところです。
「幸せだなぁ。僕は君といるときが一番幸せなんだ」(岩谷時子作詞『君といつまでも』)
この場合の幸せは「心の満足度が高い」という意味だろうな、などと翻訳しています。「心の満足度が高いなぁ。僕は君といるときが一番心の満足度が高いんだ」
これでは歌詞には不向きですが、幸福をどう定義しているかは必ず確認したいところです。
No.066
文:極意塾塾頭 野中由彦