学歴についての考え方:小学四年理論 No.146

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教育思想史が専攻

わたくしの元々の専門は教育思想史です。

で自分をよくするにはどうしたらよいか、というのが出発でした。

それは「自己教育」という言葉に繋がりました。(わたくしの中では、「自己教育」はわたくしの造語でした(笑)。)

自己教育について学び研究するために、大学を、学部を、専攻を選びました。

その教育思想史で非常に重要な考え方のひとつが「学歴」です。

人によってはデリケートな問題でしょうが、だからこそあえてあげておきたいと思います。

学歴には学校歴と学問歴がある

学歴には、学校歴と学問歴があります。

学校歴は、その名のとおり、どの学校に通ったか、卒業したか等のことで、一般にはこれが学歴とされていますね。

学問歴は、何を学んできたかです。

学問とは、もともとは「学問思弁行」の略で、学ぶ、問う、思う、弁ずる、行うまでを含むトータルなものです。

人が学ぶという行為をするのは、どこでもできることですから、基本的には学校とは関係ありません。

ただし、学校という所は、それがやりやすい環境であるとは言えるでしょう。

学問歴は学校歴とはほとんど無関係

わたくしは、数多くの超高学歴者とも重度の知的障害のある方ともお付き合いさせていただきましたが、学校歴は中卒で素晴らしい学問歴を持っている方をたくさん存じ上げております。

しっかりしたを積み上げていて、恐ろしいまでに頭脳明晰、人のこと、世間のことを裏の裏までに読み切るを持つ優れた中卒の方は少しも珍しくありません。

それは、わからないことを人に尋ねて聴いて学ぶ、本を読んで理解する、自分で自分を教育するということができるからですね。

自己教育ができるようになるのはいつから?

では、人はいつから自分で自分を教育する=自己教育ができるようになるのでしょうか。

それは小学四年の学が身に付いているかどうかだというのが定説です。

松下幸之助さんが「小学校は四年までしか出てないんや」と常々語っていたとのことですが、これは自己教育という点からは重要で、自分で学ぶことができるラインは超えていた!という意味です。

「小学3年までしか行ってないんや」ということなら、その後の松下幸之助は存在しなかったということですね。

新聞を読んで理解する力があれば、自分で学ぶ力は既に十分有ります。

学校歴ではなく学問歴がその人の中身

学校歴はその人の個性の一部でしかありません。

本当に問題なのは学問歴ですね。

「学歴にコンプレックスがあって」とおっしゃる方を時折見かけましたが、大概は立派な学問歴のある方でした。

学校歴に振り回される必要は全くありません。

それよりも、自分が本当に身に付けている学問思弁行はどういうものか、それを問うほうが、を減らしを上げるのに役立ちます。

※ 写真は今朝、船橋市での経営者モーニングセミナー朝食会において。

No.146

(塾塾頭 野中由彦)

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