生まれ変われるなら誰になる?
私は時々、街や電車で会う人たちを「生まれ変わった自分とみなしてみる」ということをしていますが、その際ときどき思うことがあります。
もし神様から「世界中の誰でもいい、この人になりたいという人にならせてあげる、生まれ変わらせてあげる、誰がいい?」と訊かれたとしたら、どう答えるか?
これはとても面白いメンタルゲームでした(笑)。
このゲームは、かなり前から、おそらく二十歳の頃からときどきやっておりました。
神様、わたくしは「野中由彦」がいいです
何度やっても、私の答えは「自分がいい、野中由彦がいい」でした(笑)。
「え?、その顔で? その境遇で? その運で?、その程度で?‥‥」と言われそうですが(笑)、自分以外の人になりたいとは思わないし、思ったこともありません。
もちろん、もっと裕福でいたいし、も少し背は欲しいし、ハンサムなマスクに憧れるし、カッコいいスタイルの人にも憧れるし、女性に好かれる男にはジェラシーを感じますし、英語を不自由なく使いこなせていないのは悔しいし、‥‥不足不満足はその他いくらでも有ります(笑)。←希望・憧れ・理想理論
しかし、それでも他の人になりたいと思うことはございません。
自己肯定の極みは「生まれ変わっても自分」
よく「自己肯定感が大事」とか「まず自分を好きになりなさい」とかと聞きますが、それは「誰にでも生まれ変われるとしても、私は自分がいい」と思う心を持っているということかも知れません。
その意味では、わたくしは心の奥の奥で自分を肯定できる、いちばん深い層で明るく朗らかでいられる、たいへん有り難い境遇のもとで生きてこられたのだと思わざるを得ません。
世の人は何割の人が「生まれ変わっても自分がよい」と思っていますでしょうか?
極意塾は、思考と行動の習慣を変えましょう、自己変革をしていきましょうと提案していますが、その前提に、自分はそうするに値するという意識の有無・程度が重要ですので、興味があるところです。
No.161
(極意塾塾頭 野中由彦)