過去の意味付けを変える極意:プラスの言葉理論(5) No.188

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学習
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悔しさだらけの中学時代

中学時代は、何ひとつ思いに任せず、悔しさだらけでした。

片田舎の中学校に入学した私は、迷うことなく陸上部に入りました。

兄は長距離で学校一番でしたし、私自身陸上にかける夢がありました。

ところが、中学2年になると、教師は顧問とは名ばかりでまったくやる氣無し。「陸上なんて苦しいだけだろう」と言う程度の理解。陸上部のことは何もしないでバレー部と遊んでいる。‥‥指導者のいない部となりました。

自分で何でもやろうとした

クラブ活動の時間になると、陸上部は校庭の隅の方でぶらぶらしているか、野球部の練習をボーッと眺めているだけの体たらく。

これを見て心底腹が立ち、陸上部再建を志しました。

校庭は、野球部、ソフト部などに占領されて陸上部の練習場所は無し。

練習は何をどうやればいいのかほぼ何にも分からず。

そこからの出発でした。

惨めさ極まれり

『陸上競技マガジン』を買い、トレーニングの本を読んで、校庭の隙間をうまく使ったサーキットトレーニングを思いつき、企画書を出したら、「田舎の中学2年生がよくもそこまで考えたもんだ」などと褒められるかと思いきや、「やめろ、危ねがら」。

部員は次々辞めていって、結局同級生で残ったのは私ひとり。後輩は7人いたものの、なんとその全員が部長の私に何の話もなく、ある日応援団にさせられている始末。

自分の練習はやってもやっても肝心の走力が付いてくれず、以前は軽く追い抜いていた柔道部の男に先を行かれる始末。

悔しくて悔しくてさらに練習していると、右膝の骨が変形……オスグッド・ シュラッター症候群。

走り幅跳びで試合に出たら、助走路が短くて、いつもは23歩なのに17歩しかとれない、しかもほとんど砂場同然。

自己ベストより45センチも悪い記録で、地区大会の6位。

私が選手として県中学記録を更新するかというような実力があったら、周囲の扱いは全く違っていたでしょうが‥‥。

その扱いの違いがまた悔しい!

自己教育への目覚め

この惨めさ、悔しさ極まれりの過去に「良かったね」を重ねると、やはりこれが本当に良かったのだと今にして思います。

悪条件の下で、人はどうすれば這い上がれるのか。

指導者もいない中で自分で自分を高めるにはどうすれば良いのか。

これが生涯のテーマに育って行ったのでした!

その名は『自己教育』。

これは中学生だった私が自分で考えついた造語でした。←別に専門用語がありますが。

そして頑張って頑張っているのに上手くいかない人への共感! 心からの共感!

さんざん面白くない目にあった結果、それを材料に、たいへんな収穫を得たのでした。

そして紆余曲折を経て極意塾の活動に繋がっているのであります。

その後の陸上部?‥‥私の卒業と同時に廃部。二度と復活しませんでした。

No.188

(極意塾塾頭 野中由彦)