いつもいい席を譲っていると‥‥
お客様に氣分よくなってもらい全体を和やかにするために、いい席は人に譲るという「無財の七施」の壮座施(そうざせ)をいつも実践しているとどうなるか、という話です。
わたくしは、電車に限らず、いつもいい席は人に譲ることを基本としていますが、時としてちょっとした現象が起こります。
私の所属している法人会では、毎週セミナーを開催していますが、私は、役目があって席が指定されている時は別として、もう長い間「いい席」に座った記憶がありません(笑)。
最近は、ほぼ毎回満席状態になりますので、私の指定席?は、いつも会場最後方の隅っこです。
座る所が無ければ、自分で椅子を追加して座ることとなります(笑)。
そうする理由は単純で、自分がいい席を取れば、お客さんか誰か一人がそのいい席に座れなくなるからです。
一見、不公平?
同じようにほぼいつも最後方に居る役員さんが何人もいらっしゃいます。
裏方に回って、早くから会場入りし、お世話役をこなし、座る席はテーブルも無い奥の隅っこ。
同額の会費を払っていて、かたやいつも上等席をあてがわれている方もいらっしゃいますから、不公平と言えば不公平です。
こういうことは、どんな会にも多かれ少なかれ有ることでしょう。
それが当たり前になると‥‥
それに、いつもそうしていると、それが当たり前と思われ、それが似合う人、その待遇で構わない人と決め込まれ、感謝されることもなく、暗にずっとその状況を続けることを期待されるようになる傾向があります。
また、観察していると、現実問題として、いつも中心に位置し目立つ人は尊ばれ憧れられ、そうでない人はその他大勢扱いになるという現象も見てとれます。
他人様にいい席を譲って氣分よくなってもらうということは、そういうことも含むことですから、その時「自分は犠牲になっている」と思えば、その瞬間ストレスになってしまいます。
犠牲?になってもストレスにしない技
いい席は人に譲るという「無財の七施」の壮座施(そうざせ)は、そういう現象もあらかじめ了解し飲み込んでの実践ですから、それをストレスにしないためには、心の持ちように技が要りますね。
極意塾では、慈悲の実践をストレスにしない、およそ誰でも、すぐに簡単にできる技を提唱しています。
No.203
(極意塾塾頭 野中由彦)