些細な事に心を乱されない極意:少し損理論 No.204

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対人関係
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自分が犠牲になってもと思っては駄目

他人様にいい席を譲ってばかりいると、いつも隅に追いやられ、それが当たり前になってしまうこともありますが、その時「自分は犠牲になっている」と思えば、その瞬間ストレスになってしまいます。

「自分が犠牲になっても人のためなら」などと思ってはいけません。

なぜなら、そういう事を思うと、自分が犠牲になる事態が次々起こりますから。

些細な事に心を乱されない

いつも隅に居て、そこが似合うその程度の人と思われようが何だろうが、そんな些細な事には全く心が乱されないばかりか、喜んで受け止め受け入れ、悠然としている技があります。

その技とは、初めから「喜んで少し損しようと決めておく」という単純なことです。

大いに損して、何のためにやっているのか分からなくなるというなら話は別です。

しかし、多少の誤差の範囲の事なら、初めからその範囲の最悪を想定しておけば、何があっても想定内のことですから、ストレスにはなりません。(笑)。

たくさん有る「少し損」できる場面

電車に乗ってみたら、空いていた席に若者が座った‥‥良かった、少し損できた(喜)。

割り勘で端数が出たので払っておいた‥‥良かった、また少し損できた(嬉)。

エレベーターが満員になったから率先して降りた‥‥良かった、また少し損できた(笑)。

コンビニでレジの順番待ちに並ぶのがほぼ同時だったから譲った‥‥良かった、これで少し損できた。

‥‥万事が万事、こんな感じで喜んで少し損しようと決めていると、いい席は人に譲るという「無財の七施」の壮座施(そうざせ)は、格好の少し損できる場面です。

自分が少し損する分、他の人が少し得するのだからいいじゃないですか。

しかもそれが大切な人だったなら、大喜びで譲ります(笑)。

誰が大切な人で誰が大切ではないかなどと考え始めると、それがストレスになりますから、みんな大切な人ということにして、いつも大喜びで席を譲っていれば、心が乱れることはありません。

「少し損」の恩送り

少し損して喜ぶ生き方は、ややもすると他人に利用されることもあり得ますが、そうだとしても、一時的な軽微なことですから、そのことでイライラするよりも、初めから予定どおりとカラッとしてストレスフリーでいたほうがよほど賢いというものです。

また、「少し損理論」を続けていてしみじみ思うことは、これまで実は非常に多くの場合に、他の方の「少し損」に助けられていたこと、それにほとんど氣が付かずにいたことです。

トータルすると、やってあげたことの百倍以上やっていただいてきたと思います。

だから、これからもずっと「少し損理論」で返済していこうと思っています。

これも、小さい事ですが、人からいただいた恩を別の人に送る、恩送りというものですね。

よく「人の喜びをわが喜びに」と言われますが、そこに自己犠牲があってはならず、「わが喜びが最初、それと同時に、またはそれを追うようにして人の喜びが」という順序が正しい。

極意塾では、その理を支持しています。

No.204

(極意塾塾頭 野中由彦)