希望に燃えていた日々
わたくしの精神生活の絶頂期は、小学3年生〜4年生の頃かも知れません。
その頃は両親が同時に長期入院していて、とくに貧しく、家に電気は無く、中学生以下の子どもだけで暮らす日々が続きました。
環境は最悪だったかも知れませんが、心はエネルギーが漲り絶好調でした!
豚と言われていた少年
身体を鍛え大きくなりたくて、何でもガツガツ元氣に食べました。
兄弟からは豚と言われていたほどです。
そのお陰か、兄の結婚式で親族が集まった時、見渡すと私が一番背が高かったのでした。
両親とも背は低いし、兄たちも一番高くて167㎝ほどしかない中で、私は174㎝あります。
もともと背が高くなる素質はありませんでしたから、5㎝くらいは自分で伸ばしたと言えるでしょう(笑)。
質素な食事とテレビなどの無い暮らしで、身は軽く頭は冴える一方でしたから、勉強にも読書にも、運動にも、何にでも集中して取り組めていました。
夢と希望でいつも満腹
その頃、自然に湧き出てくる言葉は、「今に見ていろ!」でした。
これは復讐とかそういう意味ではなく、純粋に「将来の俺を見ろ!」という意味でした。
希望に燃えて燃えて燃えていました。
何も無い中で、夢と希望を食べて生きていたようなものでした。
ですから、子どもを1人ずつ別々の親戚に預けるという話が出て来た時も、寂しいと思うどころか、「よおし、そこに行ったら勉強も運動も何でも圧倒的に一番になって、周りの皆んなに親切にして、大人にも年上にも一目置かれ、ゆくゆくは‥‥」と、夢は膨らむばかりでワクワクしていました。
兄弟離散の話が立ち消えになった時は、かえって拍子抜けしたのを覚えています。
今に見ていろ!
「今に見ていろ、こんなチンケな田舎で貧乏なままでいてたまるか!」
「今に見ていろ、舟木一夫より背が高くなってやる!」
「今に見ていろ、どれほど貧乏でもこんな田舎でも、有名大学にでもどこでも行ってやる、俺ならできる!」
「今に見ていろ、会社の社長になるとかそんなのできて当たり前だ、俺はもっと上を行く、俺ならできる!」‥‥
こんな感じで、わずか10歳頃のことで、世の中のことは何にも知らないだろうに、無限の可能性を実感してメラメラ燃えていました。
客観的には、田舎の貧しい少年が勘違いしていたの図でしょうが、主観的には、言葉の習慣=口癖で、至上の精神生活を実現していたのでした!
カスタマイズするから極意となる
今朝、朝陽を眺めながら、およそ55年ぶりに連呼してみましたら、思い出しました。「今に見ていろ!」ではなく「今に見てろ!」でした(笑)。
「今に見てろ!」という言葉がバラ色の未来の想像を駆り立て、全身の全細胞が希望で打ち震えるという状態でした。
半世紀以上の間が開きましたし、全細胞が入れ替わっていますが、人間って面白いですね、その当時と同じ想いが蘇って来ました!
「今に見ていろ!」ではなく「今に見てろ!」
違いは僅かなのですが、自分への響き方は全然違います!
極意は、このようによく響くようにカスタマイズするのが大事なポイントですね。
No.216
(極意塾塾頭 野中由彦)