かたや怒りに、かたや笑いに
責め心いっぱいの時の頭の中では、「●●は〜」「●●が〜」と、他者が主語になっていますね。
「あの●●のヤロウ、馬鹿にしやがって!」と語れば怒りになります。
ところが、同じ事象を「わたくし」を主語にすると、笑ってしまうしかなくなります。
「(わたくしは)あんな●●にまで馬鹿にされてんでやんの」と語れば笑うしかなくなります(笑)。
かたや激怒に進み、かたや激笑に進む。
この違いは大きいですね。
いちばん長く笑った記録
ずいぶん前の話ですが、指示を受けて海外出張を申請したところ、なんと83日も待たされた末に外されたことがありました。
サッサと決めれば良いものを、度々資料を出せと言うので出しても何の音沙汰もなく、どうなっているかと催促すれば「もう少し待て」とか「◯◯の資料を出せ」ばかり。
挙句はヒアリングと称して、出した資料を読めばわかる程度のくだらない質問をしただけで終わり、通知するときは「なんでも大所高所から判断しているらしい」などと言う始末。
怒り心頭に発しましたが、海岸道を自転車で走っているうち、滑稽な立場に立たされて、それにも氣付かず小学生みたいにワクワクしていた自分が可笑しくて可笑しくて笑いが止まりませんでした(笑)。
自転車に乗ったまま、2時間ばかり笑い続けていました(笑)。
その後も、2週間ほど、思い出すたび可笑しくて笑っていました(笑)。
主人公で生きる
他人がこうだという文脈で生きている間は、他人に支配され振り回されているだけです。
他人がどうであろうと、それに対して自分はこうだという所に氣を向け、主語を「わたくし」にすれば、状況がどうであれ、ストーリーの主人公は自分です。
自分が話の主人公となれば、腹立たしい事件も、たちどころに笑い話になってしまう。
実はこれは、自分が主人公で生きる極意なのではないかと思います。
自分軸で生きる
自分軸で生きるという言い方を最近よく耳にしますが、具体的には、先ずは話の主語を自分にするだけでオーケーではないかと思います。
それで、わたくしはこれからも、話の最後に「で、自分は‥‥」、もっと主体的になるために「それで、野中由彦は‥‥」を付け加える実験を続けるのであります(笑)。
No.230
(極意塾塾頭 野中由彦)