自分を生きる極意:わたくしは◯◯◯◯(自分のフルネーム)理論 No.236

対人関係
この記事は約3分で読めます。

明けましておめでとうございます。

2019年7月1日から毎日、184日間連続して、塾の極意の紹介をし続けてまいりました。

本日からは不定期に、ただし一週間に少なくとも一度は投稿することといたします。

今年は、極意塾のサイトの充実に精出していきます。

役を演じてしまう性(さが)

を見失わず、自分の個性を存分に発揮して生活し続けていたいものです。

それは誰しもそう思うところでしょうが、しかし、人は社会的存在だからか、自分よりも「役職」が前に出てしまう傾向があるようです。

◯◯(組織)の□□だからというで、自分の発想も行動も制限してしまいがちです。←わたくしの強く反省するところです(笑)

その役職の人になりきってしまうと‥

それが、生活を律し、望みの境遇を造ることにストレートに寄与しているうちは健全なのですが、すぐにその役職に振り回されてしまいがちです。

そしていつしか、自分は本来何者かを見失い、元々の希望と役職が要求する行動とが噛み合わなくなると、になります。

それが昂じると猛烈なストレスにもなりますね。

「オレがなんでこんなことをしてなきゃならないんだ!」

「これってワタシのやることじゃないわ、どうして!」

ここが軌道修正のポイントですね。

自分を見失わない簡単な方法

そこで、自分を見失わないための簡単なです。

それは、「わたくしは◯◯◯◯(自分のフルネーム)」と唱えるというものです。

◯◯(組織)の□□である前に◯◯◯◯。

この当たり前の地点に戻るちょっとした儀式のようなものですね。

矢沢永吉の役は「矢沢永吉」

矢沢永吉さんが腹心に裏切られて35億円もの借金を背負い、それを受け止めて全額完済した話は有名ですね。

そのときのことを本人が語っているという中に「俺は矢沢永吉という役を与えられているから‥」というくだりがありました(私の記憶です)。

現実問題として、たいへん辛かったことでしょうし、筆舌に尽くしがたい事が多々あったと想像します。

それでも「俺は矢沢永吉という役を与えられている」から、どこまでも矢沢永吉であり続ける!

この覚悟があったから、どん底の暗闇の中でも自分を見失わずにいられたのだろうなと想像します。

役を演じる生き物だから

は、基本、役を演じる生き物なのでしょう。

ならば最高の役、すなわち自分自身、具体的には◯◯◯◯(自分の本名)という役にどこまでも徹する。

私の場合ならば「私は野中由彦なのだ」。

これを言いきかす度に本来の自分に立ち返る。

自分が描いているシナリオを確認して軌道修正する。

流行の言葉で言えば、自分軸で生きるということですね。

励ましたいときの最後の決め台詞、「だって、あなたは◯◯◯◯でしょ!」。これは効きます!

簡単ですがとても大事な技だと思います。

No.236

(極意塾塾頭 野中由彦)