柔軟な目的認識ができる「何があるか理論」 No.060

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学習
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人間は何のために生きているのでしょう?

人間は何のために生きるのか」を何年も何年も考え続けた!という方を何人か直接存じあげております。正直言うと、私もこの問いの罠にはまったことのある一人です。

それで、結局人間は何のために生きているのでしょう?……未だ明確な回答を得ていません。ただ、この問い自体が間違っているのではないか!と思うようになりました。

「何のために?」と考えると、脳は答えを一つだけに絞ろうとします。しかし、現実には、何かを行えばさまざまな事を体験することになります。

何のために生きるかでなく、生きたら何があるかを考える

その体験する事を全て目的・目標にして何ら差し支えないのではないかと思ってから俄然楽になりました。

何のために生きるのか!ではなく、生きたら何が有るのか!と考えると俄然生きることに興味が湧いてきます。

何のために生きるのか!とかを考えている人は幸せそうな感じがしませんね、正直言って。幸せそうな感じがしない!? それだけでそこに何らかの誤りがあるのでは?

「何のために行くの?」「行かなきゃわからない」

「お遍路なんて何のために行くんだ?」「自分が行ったら何が有るか、どういうことになるのか知るためだよ」

「朝のセミナーなんて何のために参加するんだ?」「参加してみたら何が有るのか確かめるためだぜぃ」

「イギリスなんて何のために行くの?」「行ったら何が有って何を思うのか確かめるのヨ。行かなきゃ話にならないヨ」「お前は何のために生きてるんだ?」

「生きてみたら何が有るのかハッキリ見るためですけど、それが何か?……」こんなやり取りを二十歳の頃に聴いていたらその後の人生変わったかも知れません。

やってみたらどうなるか? という発想で生きてみる

もちろん、仕事や学業などでは、目的・目標をひとつに明確に定めることは、成功のためには必要だろうし大事なことでしょう。

しかし、やってみたら実際はどうなるのか? そこに何が有るのか?という発想で生きてみると、心は解放されて、さまざま楽しいことが待っています。

何のために?という苦しい問いは捨てても困ることはないようです。

No.061

文:極意塾塾頭 野中由彦